お世話になっております
File 2. 奇妙な人々 中村文則
なぜこんな手紙が突然、と思っているかもしれませんが、皆様は、私、中村文則という小説家の、生活圏にいらっしゃる人達なのです。
人生とは憂鬱なものです。私の人生もそうです。そんな私の毎日を、皆様はさらに憂鬱なものにしています。改善してくださるよう、この度は手紙を書くことにしました。
まず、私がよく行くカフェの店員のあなた。あなたはなぜ、いつもそんなに不機嫌なのでしょう?
あなたは一人でその場を切り盛りしていますが、私が店内に入っても、いつも気づかない振りをします。人気のない店で、あなたが暇なのは知っているのです。あなたはいつも、その辺の何かを拭いている。目の端に私の姿が映っているのは確実なのに、あなたは私が「すみません」と二度言うまでは、絶対こちらを向かないのです。
一回は、必ず無視します。あなたの機嫌によって、何度呼んでもこちらを見ない日さえある。私が移動して視界に入ろうとすると、後ろを向くことさえあるのです。あなたは一体、何がしたいのでしょうか。そんな風だから、この店には人が来ないのです。
ある時、私は自分から声をかけるのをやめました。あなたがこちらを向くまで、ずっとその場で立ってやろうと思ったのです。
あなたは四十代の男性だと思います。私もそうです。四十代の男性同士が、カフェ内でこのように我慢比べをする光景は、地獄ではないでしょうか?
どれくらいそうしていたでしょう。私は気づきました。私がスマホを見始めれば、私はずっとあなたを無視できる。でもあなたは(一応)仕事中だから、スマホは見られない。沈黙の対決において、これで私は勝つと思いました。
でもスマホを見始めてすぐ気づきました。私がスマホを見るということは、あなたに私に声をかけない口実を与えることになる。あなたはただ、客の邪魔をしていないだけです。しまった、と思わず顔を上げた時、あなたは私を見ながら「ニヤリ」と笑いました。「勝った」とその顔は言っていました。でもすぐ、私は気づきます。いや、あんたこっち見てるやん。
彼もそのことに気づきます。しまった、という顔をした瞬間、彼は「いらっしゃいませ」と言い、私もほぼ同時に「すみません」と言いました。引き分けです。
というか、なんなんでしょうこのやり取りは。もうこんなことはしたくありません。普通に応対してくれないでしょうか。私も普通に声をかけますので、仲直りしてくれないでしょうか。
私のマンションの野外の共用スペースに、屋根とテーブルと椅子がある場所があります。読書に最適な空間です。気に入って時々私はそこにいるのですが、ある時、マンションの掃除のスタッフのおじいさんを見かけました。そう、今度は掃除のスタッフのあなたです。
あなたは私が本を読んでいるのに、掃除を始めました。そっとしておいてくれないかな、と私が思った瞬間、あなたは恐らく読心術を学んだのでしょう、「邪魔ですよね」と私に言いました。
私が「いや」と言おうとした瞬間、あなたは続けて「こんな老人、見たくないですよねえ」と卑屈な声で言ったのです。
なんでそんなことを言うのでしょう? 私にどうしろというのでしょうか。私は反射的に「そんなことないです」と言い、その後、何を思ったのか「み、見たいです」と言ったのです。
おじいさんが驚いて私を見ます。私も自分の言葉に驚きます。その後、得体の知れない気まずい時間が流れました。
せっかくの機会なので付け加えますと、あなたは掃除の仕方を間違えています。マンションの通路の床を拭いた後に、同じ布でドアノブを拭くのはやめてください。順番が逆です。あなたのおかげで、私は通路のドアノブを触るのが嫌になりました。
最後に、私がよく行く公園にいるあなた。そこはランナーもいる広い公園で、私と同様ベンチで本を読む人もいます。私の読書中、あなたは突然電話を始めました。
「今日の21時から、ロイヤル将軍コース、お願いします」
ロイヤル将軍コース? これはフランス料理の予約ではない。そんなコースがあるはずがない。これは恐らく、けしからん店の予約に違いありません。
「奉行コースじゃなくて、ロイヤル、ロイヤル将軍コースです。150分で」
知らねーよ、と声が出そうになりました。しかも150分。周囲のベンチの人達も、同じように思ったでしょう。
あなたは恐らくマゾヒストで、人前で恥ずかしい予約をすることも、既に「プレイ」のうちなのです。私達は、巻き込まれているのです。
「はい、それです。途中で女の子がクルっとなって、私もクルっとなるやつです」
どんな状況だよ。気になって仕方ありません。正直、読んでいた本より気になりました。でも今度からは、私の前で妙な予約をするのはやめてください。お願いします。
もっといるのですが、きりがないのでこの辺でやめます。
なかむら・ふみのり
1977年、愛知県生まれ。福島大学を卒業後、2002年「銃」で新潮新人賞を受賞して作家デビュー。その後、04年「遮光」で野間文芸新人賞、05年「土の中の子供」で芥川賞、10年『掏摸(スリ)』で大江健三郎賞、16年『私の消滅』でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞など。『掏摸』の英語版『The Thief』はウォール・ストリート・ジャーナル紙で12年の年間ベスト10小説に選ばれる。14年には米文学賞「David L. Goodis 賞」を受賞。他にも『悪意の手記』『去年の冬、きみと別れ』『教団X』『カード師』など多数の著作がある。