J_novel+ 実業之日本社の文芸webマガジン

お世話になっております
File 3. 縁ニ恵マレ 今村翔吾

 近頃、よく「お忙しいですよね」と言われることが多い。謙遜すべきなのかもしれないが、正直ちょっと忙しい。
 新聞連載、週刊誌連載、月刊誌などの連載を6本、他に隔月や不定期連載を数本、文庫書下ろしのシリーズが三つ。2018年の正月から、現在の2023年の夏まで、執筆をしなかった日は一日たりとも無い。
 TV出演が月平均5回ほどあり、その大半が東京であるため、その度に上京して空き時間に各種の打ち合わせを行う。
 他に講演も月に3、4回ほど。関西だけでなく、この夏から秋に掛けてだけでも、高知県、秋田県、北海道、岐阜県、岩手県などでの講演が入っていたと思う。
 これらTVや講演の移動中も、パソコンを開いて原稿を書く。新幹線はもっとも書きやすい。飛行機は離陸、着陸時にテーブルが出せないため、国内線だと執筆時間は30分ほどになってしまう。それでも際の際まで書く。
車でさえ変わらない。講演先まで1時間あれば、後部座席でカタカタとキーボードを叩く。タクシー移動の10分でも叩く。挙句の果てには船の上でも書く。大型のフェリーは勿論のこと、高速艇でも波に揺られながら。
 TVや講演を止めようかと思ったこともある。だがある時、私の場合はこれが重要な「取材」になっていることに気が付いた。歴史小説家の取材といえば、古戦場や城に足を運ぶことを想像する人も多いだろう。実際、そちらも行う。だが私は小説を書く時、昔と現代で変わってしまったこと、普遍的なことは何かと模索し、それに材を取ることが多い。故に書斎に籠もり切りで、浮世離れしてしまわぬようにやっているところがある。
さらに理由がもう一つ。作家は気を抜けば、関わる人が出版業界に身を置く人ばかりになってしまいかねない。様々な分野の人と関われることで、自分にはない知識、考え方を吸収することが出来て、私が書く小説には非常に大きな影響を及ぼしている。私はどうやら、足で稼ぐ小説家らしい。
その上、一昨年は書店を引き継いだり、昨年は4カ月一度も自宅に帰らず、ワゴン車で47都道府県を回りつつ約300カ所の書店、図書館、学校などを巡ったりした。その間もワゴン車の後部座席に特設した机での執筆。ただでさえ忙しいのに、自ら輪を掛けにいっているようなものだ。物を書くのに非常に役立っているのは嘘ではないものの、これはもはや性分だろう。生まれた限り、死が来るその日まで、存分にこの世を満喫したいと私の魂が訴えているらしい。
自分で望んだこととはいえ、人並みにこの多忙さに辟易することもある。しかし、やはりありがたいという気持ちが大きい。7年前までは小さなアパートの一室で孤独に、誰にも求められていない小説を書いていた男なのだ。誰かに必要とされることのありがたさが身に染みている。
しかも私の場合、元々関わる人の数が少ない方ではなかった。家業がダンス教室の経営をしており、30歳で小説を書き始めるまで、ダンスの講師として月曜日から土曜日まで6教室で200人以上の生徒を教えていたのだ。その大半が小中高生である。必要とされていたかはともかく、常に子どもたちに囲まれている状態であった。故にそこを辞して、関わる人が極端に減った時、随分と寂しさを感じたものだ。そして、自分は小説家としてまだ誰にも必要とされていないことを痛いほど実感した。だからこそ必要とされることが、何よりありがたいのだ。
このエッセイのテーマは「感謝」だったはず。感謝しているのは、自分を取り巻く環境だけではない。むしろこちらが本丸。私の事務所スタッフ、特に二人の秘書に対してである。彼女らは共に2000年生まれの今年23歳。一人は19歳から、もう一人は20歳から助けてくれている。実は彼女らは私がダンスを教えていた子なのである。小学4、5年生からの付き合いになるため、まだ二人とも若いものの10年以上の付き合いとなる。私が誘ったのであるが、忙しさを見かねたこともあるだろう。
現在、執筆以外の全てを担ってくれていると言っても過言ではない。自慢には全くならないが、冗談抜きで彼女たちがいなければ、明日何をすればよいのかもよく判らない。
作家は物語を書く上では常に孤独である。が、彼女たちがいることで、私の作家としての幅が広がったことは事実。このようなチームで行う作家というのも、多様性が叫ばれる令和らしいのかもしれない。
数日前、TV局からの帰りの車、後部座席で執筆していた時、ふと車窓の外の夕焼けに気付いた。8年前までは、ちょうど彼女らのレッスンが始まる時間だ。運転席にはその彼女の一人。私が「まさかこんなことなるとはな」と呟くと、「ほんまに」と笑いの含まれた声が返って来る。少々爺むさいかもしれないが、真に感謝するのは人の縁かもしれない。そのようなことを茫と考えながら、暫し焼けるような茜空を見つめていた。


いまむら・しょうご
1984年、京都府生まれ。ダンスインストラクターや作曲家、守山市埋蔵文化財調査員を経て、専業作家に。2016年「蹴れ、彦五郎」で伊豆文学賞の小説・随筆・紀行文部門最優秀賞、「狐の城」で九州さが大衆文学賞大賞・笹沢左保賞を受賞。2017年『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』で作家デビュー。同作で歴史時代作家クラブ賞・文庫書き下ろし新人賞を受賞。2018年「童神」(刊行時『童の神』と改題)で角川春樹小説賞を受賞。2020年『八本目の槍』で吉川英治文学新人賞と野村胡堂文学賞を受賞。さらに同年『じんかん』で山田風太郎賞受賞。2021年「羽州ぼろ鳶組」シリーズで吉川英治文庫賞受賞。2022年『塞王の楯』で直木賞受賞。他に「イクサガミ」シリーズ、「くらまし屋稼業」シリーズ、『ひゃっか!  全国高校生花いけバトル』『てらこや青義堂 師匠、走る』『幸村を討て』『湖上の空』『茜唄』(上・下)など多数の著作がある。