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お世話になっております
File 4. ひらめきをくれるあなたに 長江俊和

 改まってこんなことを言うのは、少し気恥ずかしいのですが、いい機会なので。
 いつも大変お世話になっております。私がこうして、作家の端くれとしてなんとかやっていくことができるのは、あなたのおかげです。あなたがいるから、小説や脚本を書いていくことができるんです。だから、いつも本当に感謝しております。感謝しても感謝しきれません。これからも私に力を与えてください。

 というわけで、原稿の依頼は、「お世話になっております」ということである。日頃親しんでいる人や物、場所や時間などに感謝の言葉を述べるという趣旨のエッセイだ。だが、全く何を書いていいか思いつかない。感謝している人や物が無いわけではないが、エッセイのネタになるようなことが浮かび上がってこないのだ。さあ困った。困った。仕方なく、シャワーを浴びることにした。
 私は出かける前や仕事の合間にシャワーを浴びる習慣がある。その日も浴室に入り、レバーを操作した。シャワーヘッドから熱い湯が迸る。頭から湯を浴びながら、あれこれ思案する。
 そういえば、シャワーを浴びているときにアイデアが生まれることがある。あれはなぜなのだろうか。浴室に入り、頭を泡だらけにして、ごしごし洗っているときなどに、突如として、素晴らしい発想が浮かび上がってくるのだ。それまでは、いい考えが全く浮かばず、四苦八苦していたのに。パソコンに向かい、あーでもない、こーでもないと思考を巡らすが、何も出てこなかったのに。シャワーを浴びていると突然、ずっと思い悩んでいた命題の最適解にたどりつくことがあるのだ。それまでの苦悩はどこへやら。泡まみれになりながら浴室で一人、はははははと、高笑いをするのである。
 それにしても、いいアイデアがひらめいたときの感慨は、何にも替えがたいものがある。小説を書くという作業は、それなりの時間を要するものだ。執筆の期間は作家によって違うのだろうが、私の場合は、五、六十枚の短編では一ヶ月ほど、長編になると半年から一年ほどはかかる。初めて書いた長編ミステリーの『出版禁止』は、執筆を始めてから発売するまで、三年近くの時間を要した。それほどの期間、その小説と向き合うことになるので、最初に思いついたときのアイデアは大切なモチベーションとなる。そのアイデアこそが、執筆という長い航海の道標となるのだ。書いていて戸惑ったり、「これって本当に面白いの?」と逡巡することがあっても、そのアイデアを思いついたときの感情を思い出し、「これはいける」という強い信念があれば、それを乗り越えることができるというわけである。
 アイデアというのは、まずは作家自身のためにあるものではないかと思う。書いている本人を発憤させ、納得させて、執筆を促進させるマインドコントロールのようなものだ。作者がそのアイデアに惚れ込んでいないと、それは絶対に読者には伝わらないと思うのである。
 それゆえに、いい発想が浮かび上がってきたときは、天にも昇るほどの心地になる。逆に何も思い浮かばないときは、地獄に落とされたような気分になってしまう。だからこそシャワーを浴びることは、私にとって素晴らしいアイデアが生まれる、大切な時間なのである。
 とはいえ、最初からひらめきを得る目的で浴室に入っても、なかなかいい発想は浮かび上がってこない。そういった下心があると、発想の女神は微笑んでくれないようなのだ。邪念を振り払い、心を無にして、身体を洗うことに集中していないと、素晴らしきアイデアは下りてこないのだから、不思議なものである。
 というわけで今回も、シャワーを浴びることによって、このエッセイが仕上がったという次第である。本当に、我が家のシャワーには感謝しても感謝しきれない。冒頭にも述べたように、どんなに賛辞を送っても、言い足りることはないのだ。いつも大変大変お世話になっております。これからも、素晴らしいアイデアを与えてくれますように……。
 あ、いけない、いけない。そういった下心などあってはいけないのだった。浴室に入るときは、邪念を振り払い、心を無にして……。


ながえ・としかず
1966年、大阪府出身。脚本家・小説家。深夜ドラマ「放送禁止」シリーズは熱狂的な支持者を生み出し、テレビ版7本、劇場版3本が製作された。2002年に『ゴーストシステム』で小説家としてもデビュー、2014年の『出版禁止』は大きな話題となる。他にも『掲載禁止』『東京二十三区女』『検索禁止』『恋愛禁止』などの著作がある。