お世話になっております
File 9. プロットバッグ 伊岡 瞬
わたしはいま途方にくれて仕事部屋の中、常連顔のみなさんを見回しております。それは「お世話になったかた」がいないからではなく、絞りきれないからです。とくに「プロットチーム」と名付けたみなさんの中の、だれを欠いてもあの傑作群はものにならなかったでしょう。(ちなみに「欠く」と「書く」をかけてあります)
ちょっと目につくだけで、プロットノート、プロットバインダー、プロットペン(特にペン類は各色の水性・油性・エンピツ系・サイン色紙用マーカー・蛍光等々無慮数百本に及ぶ)などなど数え切れません。それぞれ数十を超える種のライバルひしめく文具売り場の棚を、わたしが端から端まで漁って実際に購入、使用して、その中から選りすぐったみなさんの協力があればこそ、なんとかアイデアを捻りだし、作品を練り上げることができるのだと信じています。もちろん、根底にわたしの才能があってこその話ですが。
しかしながら、その中でも飛びぬけての重鎮がおります。
あれは、わたしがデビューしてまだ一年か二年のころでした。
会社員と作家の兼業、いわゆる「二足のわらじ」を履いていたわたしは、仕事を終えてから出版社へ寄り、そこで担当編集者と打ち合わせをするというのが通例でした。
ひとつ問題があって、会社へ持って行くカバンに、ゲラ類、特に単行本のゲラ(通常B4サイズ)は入らないのです。押し込めばなんとかなるかもしれませんが、角が折れます。重版もかかったことのないような新人が、ゲラの角を折るなどという不遜なことでよいのかと、悩みました。
かといって、デパートの紙袋では心もとない。仮に持参したとして、担当さんに「なんだ伊岡さん、気をつかわなくていいのに」などと言われてしまってから「すみません、中は仕事道具なんです」と告白しなければならないときのその気まずさ――。
何かいいバッグはないかと探しました。
今なら、バッグ売り場に行けばよりどりみどりです。しかし当時は、男性が通勤にトートバッグを持つ、という習慣はあまり一般的ではありませんでした。わたしは何軒もはしごをして、ようやくひとつのバッグをみつけました。ACEという日本のメーカーのもので、B4サイズが入る、いまでいう縦型トートバッグです。
そう、隅で照れて茶色くなっているあなたです。
わたしは「これだ」と直感しさっそくあなたを購入しました。
「これは使いやすい」と満足したのですが、朝は通勤用、夜は打ち合わせ用のバッグとして活躍してくれたのは、わずか3年ほどだったでしょうか。悲しいことに通勤する会社がなくなってしまいました。(そのあたりの顛末は近著『清算』(KADOKAWA)の中に、リーダビリティに満ち満ちた物語として詳細に綴ってあります)
その後専業になり、打ち合わせは平日の日中ということが増えました。あなたの出番は減って、クローゼットの奥にしまい込まれる日がきました。
しかしほどなく、わたしに新たな習慣ができました。
アイデア考案(わたしは「プロット練り」と呼んでいます)を、仕事場ではなく、朝開店してすぐの喫茶店でする習慣です。
開店してまだすべてがぴかぴかしているカフェで「ダークローストにはまだ早すぎるね」などと恰好をつけることもなく「ホットカフェラテのL」を飲みながら、あれこれ妄想し、そのあたりの中空を漂っているアイデアをつかまえてはノートに記すのです。
そして仕事場に戻り、いまのメモをもとに執筆にかかり、かくして傑作が生まれるというルーティンが生まれました。(この場合の「生まれる」二度は単なる重複表現です)
話を戻しましょう。
基本的にビジネス寄りのデザインになっているあなたは、とても機能的です。
整理整頓が得意なことで有名なわたしは、ポケットがたくさんあると、「あれがない」「これがない」が少なくて済みます。すなわち、よけいなストレスを感じずに済むのです。
あなたがボロボロになったらと思うと原稿も手につかず夜も眠れず、ついつい締め切りを延ばしていただく始末です。日々後継者を探しているのですが、なかなかよいのがみつかりません。
この期に及んでは、引退するまで使って棺に入れてもらおうかと考えている次第です。(覚えていたら)
というわけで、なにはともあれどうもありがとう。これからもよろしく。
いおか・しゅん
1960年東京都生まれ。2005年『いつか、虹の向こうへ』で第25回横溝正史ミステリ大賞とテレビ東京賞をダブル受賞しデビュー。16年『代償』、19年『悪寒』で啓文堂書店文庫大賞を二度受賞。『代償』は50万部突破のベストセラーに。『痣』『本性』『不審者』『赤い砂』『朽ちゆく庭』『白い闇の獣』『残像』『清算』『水脈』など著書多数。