J_novel+ 実業之日本社の文芸webマガジン

私の○○ベスト3
Vol.66 小西マサテル 私の「グッとくる名探偵の名ゼリフ」ベスト3


1位「煙草とマッチを。」
 ──シャーロック・ホームズ(『瀕死の探偵』/コナン・ドイル)

2位「これはもう取返しのつかぬ大失策ですよ。」
 ──明智小五郎(『心理試験』/江戸川乱歩)

3位「ウチのカミさんがね、あなたの大ファンでしてね。」
 ──コロンボ警部補 (ドラマ『刑事コロンボ』/リチャード・レヴィンソン、ウィリアム・リンク他)



 名探偵と〝名犯人〟が対峙し、視殺戦と知的闘争を繰り広げるパターンのミステリが昔から大好きだ。例えば『ルパン三世VS名探偵コナンTHE MOVIE』(2013)。冒頭、逃げるルパンをコナンがスケボーで追走する。
 追いつかれたルパンが真顔で尋ねる。「小僧、何者だ。」不敵な笑みを浮かべたコナンの前髪が風に揺れる。
「江戸川コナン。探偵さ。」──これだ、これです。私の場合、こういう〝グッとくる名探偵の名ゼリフ〟さえ飛び出せば、もはや内容なんかはどうでもよかったりするのである。


3位「ウチのカミさんがね、あなたの大ファンでしてね。」──コロンボ警部補

 コロンボは、完全犯罪をやり遂げたと信じ込んでいる犯人と会うなり、いつも揉み手しながらこう媚びる。犯人サイドはロックスターであったり一流外科医であったり、ときには上院議員候補だったりするほどの有名人なものだから、初対面のこの時点ですっかり油断してしまうというわけだ。だが、実はこの瞬間から彼らはコロンボの術中に嵌ってしまっている。「カミさんがファン」というところがポイントだ。要するに〝カミさん〟というワンクッションが入ったことで、リアリティが二倍、三倍増しになっているのである。実際、私が泳いでいる放送業界でもそうだ。「妻がファンでして」「子供全員が大ファンなんですよ」といわれると、芸能人たちはけして悪い気がしないものなのだという。だからどうしてもサインが欲しいときには、この手法で意外とうまくいくかもしれない。なんの話だっただろう。そう、コロンボである。彼のいう「カミさんがファン」というのはもちろん嘘だと思う。だが、更に想像をたくましくするならば──そもそも彼には妻が存在するのだろうか。〝カミさん〟がいることさえ嘘であり犯人へのトラップだと思うと、余計にグッとくるのである(〝カミさん〟が主役のドラマ『ミセス・コロンボ』があったじゃないか、という反論にはこう答えたい。彼女だって「主人がコロンボなの」という嘘をついているかもしれないではないか)。


2位「これはもう取返しのつかぬ大失策ですよ。」──明智小五郎

 まずは『心理試験』屈指の名場面から引こう。

「どうも困ったことになりましたね。」明智はさも困ったような声音でいった。「これはもう取返しのつかぬ大失策ですよ。」


 いかがだろう。未読の読者は、明智自身が大失策を犯したように思えるのではないだろうか。
 違うのである。
 取返しのつかぬ大失策を犯したのは犯人のほうであり、これは明智が犯人を追い詰めたときのセリフなのだ。
 直前には、明智が「深い興味」をもって犯人の表情を観察する、凄まじく意地の悪い表現も飛び出してくる。

それは、今にも泣き出そうとする小娘の顔のように、変な風にくずれかけていた。


 このときの明智は、窮地に陥った犯人の顔を眺めながら、明らかに喜んでいる。内心で舌舐めずりしている。
 どっちが犯人だか分からないほどに怖い。悪い。ほぼ変態だ。だからこそカッコよく、グッとくるのである。


1位「煙草とマッチを。」――シャーロック・ホームズ

 ホームズもので好きな作品1位を挙げろといわれたなら、私は躊躇なく『瀕死の探偵』を推す。なにしろ我らがヒーロー、あのホームズが、文字通り〝瀕死〟の状況に追い込まれるのだ。そして別人のように痩せさらばえるばかりではなく、叡智さえすっかり影を潜め、うわ言のように奇妙なことを口走り始めるのである。

「海底の底全体がカキの塊で埋め尽くされないのがなぜか、理解できない。」


 ちなみにテツandトモが「昆布が海の中でダシが出ないのなんでだろう」と歌う100年も前の話である。
 こんなにホームズがおかしくなったのなんでだろう。だが、そんな疑問を抱くいとまはない。心身共に著しく変調をきたした彼の部屋に、なんとその原因を作った犯人がのそりと現れるのだ──。中学の頃から、いったい何度読み返したことだろう。ワクワクしたくなったとき、グッときたくなったときには必ずこれを読む。
 そして「煙草とマッチを。」の名ゼリフには、ただの一度も裏切られたことがない。拙作『名探偵のままでいて』の探偵役は推理を披露する際に煙草を所望するが、おそらくは彼もまた、『瀕死の探偵』の影響を受けているのではないだろうか。

 そういえばホームズはシャグという銘柄の極めて香りの強い煙草を好み、若き日の明智は四畳半の部屋を間借りしている身でありながら、フィガロというエジプト産の煙草をガンガン吹かしていたという。コロンボに至ってはカナダ産の安物の葉巻をくわえながら証拠だらけの現場に堂々と足を踏み入れる不届きぶりである。
 嫌煙社会の現代にあっては皆、許されざる存在だ(取ってつけたような告白だが、私も禁煙して十年になる)。
 やがて名探偵という人種は皆、紫煙の彼方へと退場していくのかもしれない。
 名推理は、すべてチャットGPTが行うようになるのかもしれない。
 でも──これだけはいえる。
 名探偵には、ことのほか紫煙が似合う、と。



小西マサテル(こにし・まさてる)
1965年生まれ。香川県高松市出身。お笑い芸人として活動した後、放送作家に転身。担当ラジオ番組は『ナインティナインのオールナイトニッポン』『徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー』『明石家さんま オールニッポン お願い!リクエスト』など。『名探偵のままでいて』で第21回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、ミステリー作家としてデビュー。2023年12月8日、認知症の名探偵〝碑文谷〟が再び登場する最新作『名探偵じゃなくても』を刊行予定。